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WICCA 

 

 

 

​●第二章 共食い

リュゼ.png


白いコウモリからの伝達を受けた少女は、ため息をつきながら木の椅子に腰掛けた。ギィッと音を立てて椅子が軋み、暖炉の火が、パチパチと音を立てて火花を散らす。少女は赤い絨緞に何度も足を打ち付けて、机に肘をつけたまま、顎に手を添えた。

「あの馬鹿。やってくれたわね。

苛立ちの声を上げる少女に、部屋にいた黒衣を守った男が話しかける。

「どうしたんだ、オルヴィエ。何かあったのか。

彼は暖炉に木をくべながら、少女に話しかける。男の青黒い髪がほの明るい光に照らされ、青緑色の瞳に炎が写り込む。パチパチと火花が散り、薄暗闇に消えていった。

「馬鹿な部下が、やらかしてくれたのよ。あいつがあんなことするなんて、本当に意外だわ。何が彼の心を動かしたのかしらね。まったく!

彼女は肘に顎を乗せながら、暖炉に木をくべる男を見て、ため息をつく。すごくイラついている表情だ。

「ああ…前言っていた例の同属殺しか。最近なにかと話題になる…。

彼のその言葉に、少女は首を振る。

「合っているけど、少し違うわね。今回のは犯人が分かっている。というか、犯人から名乗りがあったのよ。最近起きている犯人不明の同属殺しとはまた、別だとおもうわ。むしろ…彼は巻き込まれたのよ。

「巻き込まれた…?だが、自分で殺しをしたと名乗りでているのだろう?

「同属殺しなんて、やるような奴じゃないのよ。そいつは…どんな理由があろうが、その、殺された魔女属が、たとえ自分にとって邪魔な存在であろうとも、消して手を出すことはしない…チキン野郎だったのよ…ああ、まあ、コウモリだけど。

彼女は椅子から降りると、窓辺に移動する。夜空に飛び去っていく白いコウモリを見つめる。

「(モルセーゴ…その選択は貴方を滅ぼすわ。でもきっと、貴方は分かっているのでしょうね。分かっててその選択をしたのでしょう。
…リュゼを生かすためにリューグナーを殺した。仕方ないとはいえ、魔女属の法に触れた貴方を、私は裁かないといけない。
これが奴らの罠であるとしても…。

紫色の瞳は白いコウモリが消えるまでずっと雪が降る夜を見つめていた。
その様子を見ていた従者は、柔らかい毛布で主人を包み込む。彼女は微笑むと、一度窓の外を振り返り、それから奥の部屋に消えていった。


数日後。

「なぁーんだこれ!!くっそ!

部屋の真ん中に置かれた椅子に腰掛け、机の上に毛糸を数個置き、彼女は絡みついてくる赤い毛糸と格闘していた。周りでは眷属コウモリ達が彼女を応援している。

「頑張ってくださいリュゼ様!
「そこと、そこが絡まってますぞ!
「もう切ってしまいましょう!ちょきんと!

二つの金の編み針の間には、少し不恰好だが編み物が出来上がりつつあった。

「あー!うるさい!わかっている!くそ!どうしてこんな…ッ難しいんだ?!ああくそ!
やめだやめ!こんなこと続けていると、頭がおかしくなる…ッ!

彼女は、持っていた編み針と毛糸を机に投げつけて言った。眷属コウモリ達は慌ててそれを拾いにいく。
リュゼが編み物を始めたことには理由がある。もちろん、一番の理由は暇つぶしだ。
モルセーゴの眷属となって数週間。彼は、リュゼを従える事もなく、ずっと住処に置き去りにして出掛けて行く。
リュゼはその間、掃除をしたり、料理やら、その他の雑学的知識を眷属コウモリ達に教えてもらったりと、様々なことをしていたが、やはり、それでも暇な時が多いことが悩みであった。
そこで、眷属コウモリの一匹が、人間達の町から毛糸を買って来て、リュゼに教え始めたのだ。

このことは、もちろんモルセーゴには言っていない。いや、彼にとっては知りたくもないし、興味もないだろうが…自分自身が知られたくないのだ。知れば、モルセーゴはきっと、彼女をからかうだろう…
からかわないとしても、知られることが彼女にとって一番ムカつくことであり、このリュゼにとってはとてつもない侮辱だった。

魔女の力を失った自分は人間の身に落ちたが、でもやはり、魔女属としての誇りはまだ残っている。
だが…いつか見つかる事は予想できる。その時がくれば、どうせなら、ちゃんと上達した所を見せたいのだ。
つまり彼女は負けず嫌いなのである。なんとややこしいことか。
…その騒ぎを聞きつけたのか、モルセーゴが眠そうな顔をしながら部屋に入ってきた。

「何の騒ぎだ。

それを見たリュゼと眷属は、何にもなかったように慌てて毛糸を隠し始めた。

「や、やっと起きたのか、モルセーゴ。…あっ

指に絡まった毛糸を隠し、リュゼは何もなかったような顔をする。モルセーゴは、特に気にする様子もなく、彼女の隣に座った。
眷属コウモリの一人が、赤い液体の入ったグラスを持ってくる。彼はそれを一気に飲み干し、グラスを置く。…まだ眠そうな顔をしているモルセーゴをリュゼはじっと見る。

「なんだ。

「いや、別に。いつもなにを飲んでいるのか気になっただけだ。どうせそれは血液だろう?人間のか?他の動物?

グラスに再度注がれた液体をみながら、モルセーゴは目を細めた。何度かくるくると揺らして混ぜると、そのグラスをリュゼに渡す。彼女はそれを見ると、眉をひそめて首を振った。

「私はいい。分かってるだろ。…もう魔女属じゃないんだから、虫も、生肉も血も、食えないんだって。

「いいから、飲んでみろ。

リュゼはあからさまに嫌な顔をする。しかし、やはり興味があるのか、グラスを手に取りにおいを嗅ぐ。すると、驚いた顔をしてモルセーゴを見た。

「嘘だろ?フルーツか、これ。

「そうだ。この山の麓に生えている、ブラッドウェルフルーツの果汁だ。人間の血液に似た色、どろりとした液体だが、味は柑橘系のように甘くて濃い。

リュゼはグラスに入っていた液体を全て飲み干すと、唇についた果汁を舐める。

「美味しい。

「そうだろう。

少しフッと笑って、彼は席を立つ。リュゼの頭をポンポン、と撫でて、彼はまた部屋の外の暗闇に消えていった。

「何しに来たんだ?あいつ…

眷属コウモリもわからない、とジェスチャーする。リュゼはグラスに残ったジュースを飲みながら、彼の消えていった方をずっとみていた。

「(アイツとも、最近は自然に会話をするようになってきたな…

モルセーゴと過ごして、彼に逆らわないようになって、数週間…約二ヶ月経った。
共に過ごして来たからか、最近では、奴のいろいろなことがわかるようになってきた。
あいつはやはり…コウモリの魔女属であるからか…昼に起きて、朝に寝る。基本は夜行性で、夜を中心に活動し、朝方に帰宅して就寝する。

夜中、何処に行っているのか、何をしているのかは聞いても答えてはくれない。

その態度から、信用されていない、というのがわかる。…まあいい、自分だってそこまであいつを信用していない。もし、今魔女属の力が戻ったとしたら、すぐにでも逃げ出してやる…!
そんなことを毎日思いながら、ここで生活している。
ジュースを全て飲み終えた所を見計らって、眷属コウモリがグラスをしまっていった。

きっと自分がこれからどうなるのか、とか、そんな事を考えることは、無駄なのだろう。
私の命は、もう私のものではなく、彼のものとなっているのだから。

ため息をついて、椅子から立ち上がる。一瞬くらりとくるが、気のせいだと首を振った。魔力は自分の意思で消費しなくても、日々の生命維持のために勝手に消費されて行く。

魔力は供給してもらわない限り、湧くことはなく、魔力が尽きれば、死の直前…あの苦しい状態を永遠と味わう事になる。…だが、供給行為はあまりしたくなかった。
供給を受ければ、魔法を使わずに居るとすると、最長で2週間は動くことができる。魔法を使えば、動ける日にちは3日と短くなるが、それでも初期に比べれば長くなった方だった。

供給行為は、いつもギリギリになって行う。もちろん、自分からして欲しいと言うことは無い。彼から気がついて…ということだ。
血液摂取が主だが、胃に負担がかかるため、
いちばん効率が良く、吸収がいい膣内射精を選択している。
粘液に体液を残すことで、消化の働きも要らず魔力が手に入るというわけである。
最後は接吻による唾液の付与だが、唾液の付与は効率があまり良くない。
行為一回につき、魔力の付与力は膣内射精の半分も満たない。それに息苦しくてあまりすきではない。
そう、分かってはいるのだが…。

考えつつ、フラフラとしながら部屋を出ようとする。この症状は、魔力切れの一歩手前の警告症状だった。めまいに襲われ、次に吐き気、全身の倦怠感から、強い熱が出て瀕死へと追い込まれて行く。…症状が始まる前に、彼に告げないといけない。まだ、奴はここにいるはずだ。出掛けるのにはまだ、早いはず。

そう思い、廊下にでて、部屋を1つ1つ見て確認する。しかし、彼はすぐには見つからなかった。全ての部屋を見終え、最後に訪れた場所…寝室に、彼はいた。

「リュゼ。

本を閉じて、彼は部屋の入り口の前にいるリュゼを見る。

「モルセーゴ、ここにいたのか。探し回った、もう疲れた。

彼の寝室には、大きなベッドが1つあった。天井には布が貼ってあり、外からの光を遮断している。そのほかには本棚くらいしかなく、とても簡素な部屋だ。彼は時々ここで本を読んでいる。

「魔力が切れかけているな。来い。

彼は、ベッドに腰掛けて、ふわふわな白い布団をポンポン、と叩いた。
しかし、リュゼはそこから動かない。俯いて立っているだけだった。

「どうした。動けないのか?

「…別の魔力供給方は、本当に無いのか?

その問いに、モルセーゴは沈黙し、首を振る。

「あればもう試している。…なんだ?キスの方が望みか?セックスがしたく無いのなら、そちらでも可能だ。お前に合わせる。
ただし、ものすごく息苦しくなるからな。血液摂取でもいいが、お前は血を飲むのは嫌だろう?

彼はそう言ってベッドから立ち上がり、リュゼの方へと歩み寄った。
彼女は少し後ずさりをするが、彼は逃さないように、距離を詰めた。彼女の腰を手で支え、優しく抱擁する。

「合わせると、言われても。

彼は、恥ずかしがっているのか、嫌がっているのかいまいちはっきりしない彼女に文句は言わなかった。そのかわり抱きしめた彼女の頭をポンポンと撫でる。そして思い出したかのように言った。

「言っていなかったが…近いうち…あと半日後に、魔女集会がある。俺はそれに出席する。…3日は戻ってこない。今日の夜、発つつもりだ。

それを聞いたリュゼは、モルセーゴに抱擁を返す。やがて小さく呟いた。

「なら、あっちの方しか、無いじゃないか。そんなの……。



彼の温かい体液が、体に残っているのを感じる。行為はそこまで長いものじゃ無い。挿れる準備さえできれば、すぐに終わる。
振動で少し腰が痛くなるが、それはもう仕方がない。慣れるしかないのだ。
モルセーゴは目を閉じて、目の前に寝転んでいる。寝ては、いないようだ。

「魔女集会にお前が参加するなんて、珍しいな。何か面白いことでも起こるのか?

彼女はからかうように言った。彼は薄く目を開けてリュゼを見て、また閉じた。

「なんだよ。教えてくれたっていいだろ。私だって元魔女属だ。知る権利くらいある。

彼は目を閉じたまま、彼女を自分の方に引き寄せる。そして、諦めたように呟いた。

「同族殺しの罰を受けるために行く。

リュゼは目を丸めて、彼を見た。薄く開けたまぶたから、赤い瞳がじっとこちらを見つめている。

「なんで、お前が?まさか、私のことか!?お前が私を殺したんじゃない!私はギックとの戦いで敗れて、瀕死の状態をお前に助けられただけで…

彼は優しい手で、リュゼの頬を撫でると、彼女は口をぎゅっと閉じた。

「いいや、俺は確かに同属を殺したんだ。眷属化の際、まだ残っていたリューグナーの魂を完全に停止させ、俺との契約の媒体とした。結果として、お前は生き残ったが、蜈蚣の魔女属であるリューグナーの魂は死んだに等しい状態になった。

その言葉を聞いて、リュゼは首を振ってモルセーゴに言う。

「リューグナー…私の力は…あのまま消える運命だった。お前が来なければ、あの後来たであろうギック・バレンシアンの仲間にとどめを刺されていた。お前はわたしを助けたんだ!なぜお前が罰されなければならない!

「それでも、俺がとった行動は魔女属の掟を破るものだ。俺が助けたのはリュゼであり、リューグナーではない。

リュゼは沈黙した。今の彼女は人間であり、消えたリューグナーは彼女を器とした魔女属だ。リューグナーを棄て、リュゼを生かしたことにより、モルセーゴは同属殺しの罰を受けなければならない。
そんなのは、許せない。本当は、彼を庇いたくはないが、こればっかりは理不尽すぎる…。

「私が行って証明する。今回の集会会場はどこだ!?乗り込んでやる。

しかし、その威勢の良さを削ぐように、モルセーゴは彼女を制止する。

「やめろ。無意味だ。お前は人間に近い存在になり、俺はもう罪を認めている。それに、おまえを魔女集会に連れて行くことはできない。

「なぜだ!!

「グランヴィニアを見たときの恐怖を忘れたのか?あいつも当日は集会に出席するだろう。

リュゼは目を見開いて、ギュッと体を硬ばらせた。ドクドクと心臓の音が高鳴る。思い出してしまった、あのときの感覚を、あの表情を見た時に感じた、恐怖を。

ぷるぷると震える目の前の少女を、モルセーゴは抱きしめた。リュゼも抱擁を返す。彼女は落ち着いたのか、ゆっくりと彼に問う。

「…おまえは、それで本当にいいのか?

モルセーゴは沈黙するが、やがて口を開いた。

「どのような罰があろうと、受ける覚悟だ。
これは、おまえを救ったときから覚悟していたことだ。
それに、集会にも他の魔女属共にも飽きていたところだった。
お前がこのことについて気にすることは一つもない。

背中をポンポンと叩きながら、モルセーゴはリュゼをなだめる。
本当に、こいつはずるいやつだ。
彼女はぎゅっと、彼を抱きしめた。




次にモルセーゴが帰って来たのは、3日経った後だった。右の手首に裏切りの者を表す紋様を刻まれていたが、表情はいつもと変わらず無表情のままだ。

彼に下された罰は1つだけ。
魔女属の契りからの除外だった。

魔女属の契りとは、魔女属同士が結んでいる契約の1つであり、この契約によって、魔女属達は互いの命を奪いあわず、助け合って生きることができる。
この契りから脱すると言うことは、魔女属同士の護りも消え、命を狙われようが自分1人でなんとかするしかない状態に陥ると言うわけである。

以上の理由から、この除外は、罰則の中でも最上級に位置付けられる。裏切り者の印をうけた者は、魔女属を恐れない狩人や、魔女属でさえ手に負えない魔物達の格好の餌食となることが多い…つまりは…私達は魔女属の仲間たちから見放された、というわけだ。

だが、彼は無表情のまま、リュゼの目の前で、ワイングラスに入った液体をグラスを傾けながらくるくると混ぜている。彼が今何を考えているのかはわからない…後悔しているのか?私だったら後悔するだろう。大きな荷物を抱えてしまい…そして、同盟からも見放されたのだから。

「モルセーゴ……

2人の間に流れる沈黙を切り裂いたのはリュゼだった。この空気に耐えられなくなった彼女は、彼の名前を呼ぶだけにとどまった。
すまない、と言う言葉を飲み込んで、また沈黙する。

「気にする必要はない、と、出立する前に言ったはずだ。

彼はグラスの液体を飲み干して、言った。

「わかっている。だが…気にしないと、ここが苦しいんだ。何故だか、わからないが…スッキリしない。

リュゼは、自分の胸あたりに手を当てて、眉をひそめた。
その言葉を聞いたモルセーゴは、ため息をついて、席を立つ。リュゼの近くに来ると、椅子から立ち上がるように言った。

「なんだよ?

「スッキリしたいんだろう。だったら罰を与える。その罰を受けることによって、お前は許されるだろう。

リュゼは首をかしげる。

「ばつ…?それを受けて、ゆるされる…と、スッキリするのか?

「ああ。そこの苦しみが解放される。…主に俺に対する怒りに上書きされるだけだが…ゴホン。

彼は咳払いをすると、指をパチンと鳴らした。すると、暫くして眷属コウモリ達がなにやら道具を持ってきた。

「なっっ!!

リュゼはその道具に見覚えがあった。…厳密には、その道具が入っている箱にだが。

「あ、たしの…

「最近、編み物をしているそうじゃないか。
なにか一つ作ってくれ。それが罰だ。


冷たい空気が流れている、暗い洞窟の中で、女は一人、床に散らばった臓物を片付けていた。
それは、目の前にある、亡骸からこぼれ落ちたものだったが、女は驚く様子もなく臓物を握り、淡々と箱の中に片付けていく。
天井から滴る水が肌を濡らしたが、その冷たさに彼女は反応することはなかった。

手に持っていた箱に全てを詰め終えた彼女は、入念に蓋をして、それを抱えて部屋を出た。

暗い廊下を歩いていく。周りから聴こえる叫び声が空間にこだましていた。
女や子供、大人の男。老婆、老人…ぎゃあぎゃあと喚く人間の声。
彼は、その行為に関しては差別をしない。老若男女問わず、殺すときは殺すのだ。とても残忍な方法で…

「あら、ミュオではありませんか。

赤いドレスを身に纏った黒髪の女性が、ミュオの前に立ちはだかる。赤い瞳を気だるそうに鈍く輝かせ、彼女はミュオを見つめている。

「…アンリエッタさん…何かご用ですか。

ミュオは、怯えたように俯く。決して目を合わせようとはしなかった。

「特に用はありませんが…ふふ、ワタクシ、暇なのでお話でもと思いまして。
また貴方、グランにこき使われてるんですわね。同情致しますわ。

箱を持つ手にぎゅっと力が込められる。
ミュオは震える声で言った。
こき使われている…?ちがう…私は…
反論しようとした言葉を飲み込んで、小さく呟く。

「わたしは…皆さんとは違って…戦いができないので…

「あら、そうでしたわね!うふふ、ごめんなさいね、嫌味で言ったわけじゃないんですわよ?
毎日、グランのオモチャがぶち撒けた内蔵や汚物…拾い集めるのが今の貴方の仕事、ですものね?

挑発とも取れる言葉に、ミュオは反応も示さなかった。彼女は地面を見つめたまま、動かずにいた。つまらない、と思ったアンリエッタがすかさず口を開く。

「あら、やだ、ごめんなさい?お仕事の邪魔をして。ではわたくしはここで。

アンリエッタは、言葉を吐き終えるとうふふ、と笑って去って言った。
冷たい風が手足を冷やしていく。アンリエッタ…彼女はいつもこんな調子だ。ミュオが役立たずなのを、責める気持ちがある、というよりは、ただからかって遊びたいだけなのだ。

ミュオは最後まで何も言い返さず、彼女が去った後、また歩き始めた。

いつもの部屋に戻る。部屋の中にはハエが飛び回り、床に散らばる肉片にはウジが湧いている。その中を、ミュオは顔色も変えずに歩いていった。
部屋の真ん中にある黒い大穴に箱の中身を出すと、彼女はすぐに部屋を出た。
むせ返るような死臭には慣れていた。もう、嫌悪感さえ感じない。
廊下に戻り、次の部屋を目指す。
こんな作業をしているのは、昔からだったが…最近は本当に頻度が高い。
というもの、彼が…獲物を捕まえてきては拷問して殺しているからなのだが…。
多いときは、1日に5人。彼が散らかした部屋の掃除ばかりしている時もある。
なぜこんなことになってしまったのだろうか、とミュオはため息をついた。

「おい、ナメクジ女

彼女はすぐ目の前にいた男に気がつかなかった。不機嫌そうな低い声、鋭い目つき…。
グランは、目の前にいる怯えた目をしたミュオをじっと見ていた。
気がつかなかった、と、ミュオは焦った。
背筋が凍って行く。アンリエッタの時とは比較にならないほどの重圧を、彼女は感じていた。

「グラン、さん。ごめんなさい…考え事をしてて…あ、ぁ…5番の部屋の片付けは、後ちょっとで終わりますので…その…

小さい声で、ミュオは地面を見つめながら言う。その態度が気に入らなかったのか、グランはミュオを壁側に追い詰め、彼女の顔を掠る勢いで、壁を強く叩いた。彼の息を耳の近くで感じる。彼は低い声で言った。

「ウジウジしてんじゃねえよ、クソナメクジ。
イライラさせんな。報告するときはちゃんと顔を見ろ、いいな?二度と言わせるなよ。

ミュオの顎を掴み、揺する。全身から血の気が引く。紅く光る瞳に恐怖感すら覚える…彼の圧に負けて、ミュオの体は震えていた。

「ぁ…う…は、はい…申し訳ありません…二度としません…ので…どうか、…どうかお許しを…

チッと舌打ちをすると、彼はミュオの側から退き、彼女の前を通り過ぎていく。
彼が過ぎ去って言った後、ミュオは恐怖から解放されたのか、廊下にへたり込んでしまった。
彼に迫られるたびに、死の恐怖を感じる。

日々、彼の殺意は強くなっている。
きっとわたしは、彼について行くことしか、出来ないのだろう…いまは、見捨てられないように、彼に奉仕することしかできない。

冷えた手先がゆっくりと温まっていく。ミュオは、立ち上がって歩き始めた。はやく片付けに向かわなくてはならない。

彼をまた怒らせたら、次はきっと私が…あの人間達のように、殺されてしまうだろうから。

廊下に響く靴音。グランはいつも通り不機嫌な表情で、廊下を歩いて行く。不機嫌の原因は、色々とある。
まず一つは、欲しかったものを後一歩のところで邪魔され、手に入れられなかったこと。
そいつにつけられた傷の治りが遅いこと。
それと、先ほどのミュオの件だ。

奴のあの態度には腹が立った。あとで仕置きが必要だろう。あの女は、自分が見逃されるためだけに、仕事をこなしている。隠そうとしてもお見通しだ。あのひどく怯えた顔は、俺の興奮を沸き立たせたが、発散するのは仕置の後にしておくか。

グランは、ずかずかと歩きながら、一つの部屋に入っていった。
部屋の中には、大きな円卓が置いてあった。
その周りには椅子が何個か置いてあり、それぞれに人間が座っている。
ふと、その一人が口を開いた。
「随分と時間がかかったじゃない?どうしたの?そんなに楽しかったの?

ケラケラと笑いながら、問いかける青色の髪の女は、注がれた紅茶をグイッと飲んだ。

「もう紅茶もぬるくなっちゃったよ。グラン、遅すぎ〜まじなえなえ〜

「たしかに、遅すぎですわねぇ。あんまり、ミュオにお仕事を任せちゃいけませんわよ?あのこ、お掃除、しか、できないっていっても、使用限度がありますから、うふふ。

「アンリにまじ同意〜!なんであんなやつ匿ってんのか意味不明だし!ってか、さっさとあんな魔力弱い魔女属は供物にしちゃえばいいのに!きゃはは!

アンリエッタとエスティカの発言に、グランはイラついた様子で答える。

「うるせぇよ。俺が遅れたのは、ミュオをなじってたからじゃねえ。
こいつを取ってたんだよ。

グランは、机の上に、一つの大粒の宝石を投げ置いた。水色に輝くその中には、白い靄が蠢いている。
一同は唖然とした。口を開いたのは、ヘルベロトだった。

「おやおや、この中で一番仕事をしていたのは、グランだったんですね。ふふ。いつの間に?

「3日前に拉致した。先程ようやく抽出出来る状態になったからな。これで俺の今週のノルマはクリアだ。

満足げにそう呟くグラン。机の上にある宝石を、手に取り、ジャックスはそれを眺めた。

「間違いなく、雀の魔女属…ティペルだな。
さすがグランだ。これは俺がちゃんと神(あるじ)に届けよう。
…だがいいのか?鳥系の魔女属の回収はこれで3人目だ。そろそろ、鳥族の長が黙っちゃいないだろう。

ジャックスは、宝石を灰色の布袋に入れつつ、グランの方を見た。彼は、机の上に足を組んで乗せて、ふん、と嘲けた。

「あんな臆病鳥は、一族の保守しか考えていない。負け犬…ならぬ負け鳥だ。
俺たちに喧嘩を売れば、自分のところの被害が拡大するだけだ。やつらは逃げ腰なんだよ。

ジャックスは、にやっと笑った。
ノルマを先にこなされ、すこしムスッとしたアンリとエスティカが小さく文句を言っているが、グランは気に留めなかった。

「お前らのノルマがどうとかは、どうでもいいんだよ。次の話をしようじゃねえか。

一同は、しん、と静まり返る。

「次の目星をつけてるのか?

グランはニヤリと笑った。

「ちょうどいい、弱体化した…狙い目のやつがいるんだよ。



リュゼは、まだ編み物に苦戦していた。
出来るものは編み込みの甘いものばかりだった。眷属コウモリ達に励まされつつ、毎日編んでいるが、なかなか完成していない。

「あーー!イライラする。なんだこれ、もう…

ぎりり、と歯を鳴らして机に突っ伏す。
すると、部屋の入り口からモルセーゴがやってきた。
彼は、外の冷気をまとっていて、彼が入ってくるだけで、部屋の温度が下がるのがわかった。彼は身につけていたマントを外し、壁に掛けると、リュゼの向かいに座った。

「今日は遅かったんだな。

リュゼは、机に突っ伏したまま、モルセーゴに話しかけた。彼は、ああ、とだけ言って、眷属達が出した暖かい飲み物を飲んでいる。

「外は寒かったか?

彼は頷く。暖炉の火がパチパチと音を立てる。
二人の間には静寂しかなかった。だが、それはもう心地の良いものに変わっていた。

「かなり厳しい寒波がやってきている。じきにここいら一体も雪まみれになるだろう。まあ…俺が魔法で作り上げたこの住処は温度が一定になるように仕込んであるから、寒波の影響を感じることはないだろうが…
ん…編み物は…進んでないようだな。難しいのか?

リュゼは頷いた、突っ伏した机から起き上がって、机の上に広げていた未完成の編み物を指差す。赤い毛糸で編まれたその作りかけは、とても不恰好だ。

「なかなか、上手くいかない。みんなに応援はしてもらってるし、コツも聞いてるけど。

リュゼは、はぁ、とため息をついた。

「今日はどこに行ってたんだ?

モルセーゴは、眷属コウモリ達の用意した、温かい飲み物を一口飲むと、ふう、と息を吐く。
その口からはいつもの返事が出た。

「教えることはできない。

その答えを聴くたびに、リュゼはムッと不機嫌になる。彼女は、そうかよ、と呟くとそっぽを向いた。
奴は自分には外に出るな、と家の中に閉じ込めるくせに、自分は自由に行動している。それは、彼が魔女属としての能力が高いので、外敵からも襲われにくいからだ。ということはリュゼは十分理解しているのだが…

なぜいつも出掛ける先を教えてくれないのか。
言っても分からないから、とでも思われているのだろうか?だとしたら、とてもムカつく。
リュゼは顔をしかめた。

「リュゼ、怒ってるのか?

その質問に対しても、怒りが沸き立つ。
分かっているのなら、聞くんじゃない。
彼女はモルセーゴを睨んだ。

「何故、教えることが出来ないのか、納得する理由を言え。モルセーゴ。

すると、彼はすこし考えたのちに、口を開いた。

「理由は、言えばお前が危険に晒された時に、取り返しがつかなくなるからだ。拷問を受ければ、お前は必ずこちらの情報を必ず吐くだろう。それともう一つ、お前には知られたくない事だからだ。

場所を言うだけで、そのような事態になるのだろうか?リュゼは疑問だった。そして、モルセーゴが自分に対して抱いているイメージに、彼女は怒りを覚えた。だが、まっすぐにこちらを見つめてくるモルセーゴに、彼女は負けてしまった。視線を外して、ぎゅっと拳を握りしめる。

彼は、絶対に私に自分を見せようとはしない。自分がどのような生を歩んできたか…好き嫌いも、何もかも、教えようとはしない。知ろうとしても、拒否をする。
だが、眷属となったからには、ずっとその様にはしていられない。モルセーゴもわかっているはずなのに、二人の距離はまだ縮まらずにいた。
二人の間を重苦しい静寂が包み込む。
それを切り裂いたのは、白い影コウモリのニアだった。
ニアは急いだ様子で飛んで来る。急ぎの要件がある様だ。おそらく重要な事だから、自分はこの部屋から追い出されるのだろう、とリュゼは思っていた。
モルセーゴは、ニアの耳打ちを受けて、リュゼにゆっくりと言った。

「リュゼ。席を外せ。

ああ、やっぱりか。そうか、そうだよな。情報を知るものは、少ない方がいいものな。私のように、弱体化したものは、おとなしく引きこもって生活していろってか…。
リュゼは、イラつきながら勢いよく席を立って、モルセーゴを睨む。椅子が倒れるが、気にせず何も言わずに、立ち去った。

「モルセーゴ様…このお話は、リュゼ様にもお聞かせした方が良いかと思われます。
何せ、奴らの次の狙いは…

「その必要は無い。彼女にきかせるまでもなく、俺が全て片付ける。はやく報告しろ。

ニアの言葉を、モルセーゴが素早く止める。

ニアは、彼がリュゼを大切に思い、これから起こるであろう出来事から遠ざけ過ぎて…彼女からの信用を失っていることに気がついていた。
そして、きっとその事に、彼自身も気がついているのだろうと。

ニアは、息を整えると、彼に報告を始めた。
それはついに奴らが本格的に動き始めた、と言う報告だった。

「彼らは最近、人攫いを中心に活動して居ましたが、この前、雀の魔女属が一人…彼らによって酷い死を迎えました。
オルヴィエ様は、急遽同属殺しをした者を同盟から排除し、グランヴィニア、エスティカ、アンリエッタ、ヘルベロト、首謀者と考えられる狐の魔女属ジャックス、ならびに、鼠の魔女属アリア…合計6人を粛清対象に選定。力の強い同胞達によって次の犠牲者が出ないうちに、殲滅するとの事です。そして、殲滅隊の一人として、モルセーゴ様にも協力していただきたいと。
参加の意思を表明し、協力関係となれば、同盟への再加入を認め、リュゼ様を含む全てを守護対象とするとの事です。
いかが致しましょう。モルセーゴ様。

ニアの報告を聞き終わったモルセーゴは、眉をひそめた。
なんと虫のいい話だろうか。同盟から弾き出しておいて、自分達では倒せない敵が現れたら、協力を仰ぎ、戦果として同盟へ戻す権利を与えると。
だが、その同盟への再加入は、モルセーゴにとってとても魅力的であった。自分だけなら願い下げの案件だが、いつか、自分の手の届かない所で、彼女は危機に陥る可能性がある。今、奴らに狙われているのは、モルセーゴのような力の強い魔女属ではなく、リュゼのような力をなくした魔女属…力の弱い魔女属になる。同盟の傘下ならば、その危機も減るだろう。だが、今回は相手が相手である為、効果は低いだろうか…それでも無いよりはマシなのだ。

「オルヴィエに協力する、と伝えさせる。ニア、お前は休め。使いは別のものにさせよう。

モルセーゴはニアにそう言うと、別の眷属コウモリを飛ばす。ニアは、任務が終わったことの安堵と、主人の許可により、白い影となって消えた。
モルセーゴは、部屋の中で一人、これからのことについて考えていた。
出発は、早い方がいいだろう。相手が魔女属となると、簡単にことは片付かない。出かける期間は長くなる。その間、リュゼは必ず脱走をする。ならば、このことは話しておくべきだ。それと、もし期間が延びた場合の準備もしておかなくてはならない。

彼は思い立つと、椅子から立ち上がって、彼女の部屋に歩いて行った。



リュゼは、部屋から追い出されてすぐ、自分の部屋に引きこもっていた。自分は信頼されていない、と言うことに悩んでいるなんて、自分でも受け入れ難かった。それくらい、彼女にとって、認めたくはないが、彼の返事はショックだったのだ。

彼が何も教えようとしないのは、自分に自衛する力が無いからだ。もし危険が迫った時、拷問された時、すぐに吐く危険性があるからだ。

だから、情報を制限している。何も教えないことで、その可能性を減らしているのだ。

「舐めるなよ…わたしはそんなに弱くなんか…

ぎゅうっと、布団をつかむ力が強くなる。
その時だった。

「リュゼ、入るぞ。

彼女は飛び起きる。枕をぎゅっと抱きしめて、こちらに近づいてくる彼を睨んだ。

「何しにきた?

「そう怒るな。話をしにきただけだ。

彼はバタンと扉を閉めた。

話?なんの話だ?今さっきの話か?それとも…

リュゼが悩んでいると、モルセーゴは、ベッドの近くにある椅子に座った。彼の瞳が、じい…と、こちらを見る。

「話ってなんだ。早く言え。

不機嫌そうな物言いで、ギッと睨み付ける。すると彼は、目を閉じて…すこし考えた後口を開いた。

「俺は5日後、ここを発つ。数ヶ月間家を空ける予定だ。帰還は殲滅が完了次第…つまり無期限になる。

「はあ!?

リュゼは驚いた顔をする。

「なんで、い、一体何があったんだよ。

その問いをして、彼女はモルセーゴが教える気がない事を思い出した。きっと、聞いてもまた同じ返事だろう。そう思っていた。だが、モルセーゴは、リュゼの問いにすぐに答えた。

「お前を襲ったグラン…あいつを含む合計6人の魔女属は、雀の魔女属を捕らえ、拷問し、惨たらしく殺したそうだ。そこで、事態を重く見たオルヴィエが、討伐隊を編成し、彼らと戦うことになった。その部隊への協力を請われた為、その戦いに俺も参加する。
だから、数ヶ月間…事態が進まなければ一年になるかもしれない。その間、家を空ける。お前には留守を頼む。
安心しろ、家の周りには結界を張っておく。だから、いいか?絶対にお前は外にでちゃいけない。分かったら返事をしろ。

突然の報告に、リュゼは開いた口が塞がらなかった。言いたいことが多すぎて、まとまらない。

「それは、今さっきの…ニアからの報告か?

「ああ、そうだ。

「魔力は、どうするんだ。数ヶ月なんてもたないぞ。

「俺の血をストックしておく。魔力はそれを飲めば回復する。体に馴染むまで時間が掛かるから、必ず倒れる前に飲むことだ。

リュゼは沈黙した。納得するしかないのだ。彼は結論を自分に告げた。自分は了承するだけ。それだけでいいようにした。
止めることはできなかった。

「お前には苦労をかける。

その手は、彼女の頭を撫でる。慣れない感覚だった。心の中がもやもやとする。なんと表現していいか、わからない。そして、抑えきれない感情が爆発した。
ぽたり、と、彼女の瞳から涙がこぼれる。
モルセーゴは目を見開き、彼女を撫でる手を止めた。涙は、何度もポタポタと、抱きしめた枕に染み込んでいく。リュゼはぎゅっと枕を顔に沈めた。
モルセーゴは、その顔と態度には表さなかったが、とてつもないショックを受けていた。彼女がなぜ泣いているのか、彼にはわからなかったのだ。
衝動的に、彼はリュゼを抱きしめていた。

彼女は、抱擁に驚きはしたが、すぐに受け入れて弱々しく抱きしめ返す。なき声もあげず、彼女はしばらく泣いていた。



暗闇の中を、暖かい小さな光が照らしている。
彼女は、小さく寝息を立てている。
泣きはらした後の瞳の周りは、すこし赤くなっていた。モルセーゴは、すこしだけ微笑むと、その暖かみから逃げ去るように、ベッドから起き上がる。片手で顔を覆い、目を閉じた。

俺はすこし、彼女を誤解していたのかもしれない。
自分の意識の中の彼女は、力を持っていた、強い魔女属であった彼女と同じであると思い込んでいた。力を失おうとも、性格、意識…精神…それらも全て、同じであると思っていた。しかし、それは違ったのだ。
リュゼがあのように泣くのを見るのは、初めてだった。自分に対しての鬱憤が溜まっていたのだろうと、無理やり納得したが…まだ信じられずにいる。
どうやら、魔女属としての力を喪うと、性格も意識も精神も…全て器である人よりになるようだ。
ベッドの淵から立ち上がり、窓の枠にもたれこんでため息をつく。
星が煌めいている。夜の冷たい風が、頬を撫でた。

リュゼを置いていくことに、モルセーゴはすこし不安をおぼえていた。
彼女は力をなくして、そして精神的にも弱っている。かつての彼女なら、あのような事では泣きはしなかっただろう。十中八九、キレながら襲いかかってくるだろう。

だが、今の彼女は違う。彼女は、もう魔女属ではない。非力な腕では襲いかかることも、抵抗することもできない。それは俺だけではなく、他の者でもそうだ。リュゼは弱い。彼女は死なないだけのただの人間だ。
だからこそ、彼らのターゲットになった。

奴らはきっと、彼女を捕まえた後、すぐさま拷問にかけるだろう。
奴らが拷問にかける理由は、快楽的な理由もあるだろうが、魂体の抽出が主だ。
器となっている生き物の精神と肉体を限界値までいたぶる事で、魔女属の本体である魂体は、器から魂体を緊急避難させる。その特性を利用して、彼らは雀の魔女属の魂体を確保したのだ。眷属契約を結びつけている蜈蚣の魔女属の魂体ごと引き抜き、吸収する気なのだろう。

魂体を握られれば、器は死ぬ。それは、魂体によって器が生命活動を続けることができていた為だ。

そうなる前に、奴らを殺さなければならない。
ここを発つまで後4日…それまでに、やるべきことをやっておくべきだろう。
モルセーゴは、出口の方に歩き始めた。その途中で立ち止まり、ベッドで寝ているリュゼを見つめる。彼女は安らかに眠っている。少しだけずれた布団をかけ直すと、彼女は少しだけ唸った。モルセーゴは、少しの間、彼女の顔を見た後優しく撫でると、部屋から出ていった。


太陽と月がこの世界に帰って来てから、早10年が経つ。人の間では様々な取り決めが成され、その結果季節が決まった。今は冬の月…日照時間は短くなる季節。
日が昇ったと思ったらあっという間に落ちていく。長い夜を超えて、日はまた登る。
そうなった世界で、そして、今の暮らしで、4日などあっという間に過ぎてしまうものだった。
日が上らぬうちに、彼は最後の身支度を整えていた。といっても、彼の持つものなどそう多くはない。いつもの服装に、少しばかりの道具。あとは、非常食…これは、ネズミを捕らえて、血抜きをしたあと塩漬けにして、日干しにした物だ。
非常食を包んだ布袋を、リュゼはモルセーゴに差し出した。

「丸々太った肉だ。何匹か捕まえて干しておいた。おまえの消費量ならこれくらいで持つだろう。それに、基本は現地調達だものな。

彼はそれを受け取ると、身につけたポーチの中にしまった。
リュゼに向き直り、柔らかい声で言う。

「助かる。
俺がいない間は、眷属コウモリ達に言えば、何かしらの食料は取って来る。好きに使え。

リュゼは頷いた。彼女の手に止まっている眷属コウモリ達は、主人を潤んだ目で見つめている。

「モルセーゴ様!我々も連れてってくださればいいのに…!
「我々も共に戦いまする!どうかお考え直しを…!

眷属の言葉にモルセーゴは首を縦に振らなかった。

「リュゼを守れ。それが命令だ。従えないなら契約を切る。

ぴゃあ、と眷属達は震えた。
彼は、誰一人として眷属を連れて行かないようだ。相手が相手であることからの単独行動。それから、守りにも徹さねばならないことが理由だろう。それほど、今回の敵は強大なのだ。
リュゼは少しだけ彼から目を離した。そのわずかな動作でさえも、彼は気がついていた。

「寂しいか?

彼のその言葉に、リュゼは反論しようとする。しかし、口から言葉が出ない。寂しいわけなどない。彼女は眉を潜めた。

すこし、体の奥が震えるだけだ。これは寂しいのではない!そう、リュゼは心の中で何度も唱えた。目を伏せて、不機嫌な顔をする。

モルセーゴは、その様子を見てすこしだけ微笑むと、眷属達に下がるように命じた。
眷属達はその合図を見ただけで、すぐに飛び立った。たくさんの黒い影が、通路の奥の闇に消えていき、部屋にはモルセーゴとリュゼだけが残る。
ぎゅうっと、暖かい体がリュゼを包み込んだ。

「お前のことを、乱雑に扱っていたことを謝罪しよう。すまなかった。

両腕に抱かれたリュゼに、彼はゆっくりと呟いた。彼女はその言葉に驚きつつも、少し照れているようだ。

「い、いきなりなんだよ。別に…そんなこと…お前が気にする必要ないだろ。
…たしかに、もう少し提案や…相談くらいはしてくれてもいいんじゃないかとは思ってたけど。

彼女はモルセーゴの体をぎゅっと抱きしめ、体に顔を埋める。そんな彼女の背中を、彼はゆっくりポンポン、と叩いた。

「お前を信頼してないわけじゃなかった。何も知らせないほうが、お前の為になると思っていた。…ただ、心配だったんだ。グランと会ったあの後から、奴の本気を知った。彼らは今もお前を探している。次に、奴に出会った時…お前は必ず殺されるだろう。そうさせない為にも、俺が出向き、奴らを殺しにいく。
その間の留守は任せた。家の周りに結界を張るから、必ず、俺が帰る時まで出てはいけない。いいな、リュゼ。

彼は抱擁を解き、リュゼに向き直る。彼女は鼻を赤くさせている。潤んだ瞳が、モルセーゴを見た。

「…わかった。気をつけろ。それで…ちゃんと戻ってこい。

「ああ、終わればすぐに戻る。待っててくれ。

リュゼの手を握り、手の甲にキスをすると、彼は少しだけ微笑んだ。リュゼの反応も待たずに、扉を開ける。吹雪が吹きすさぶ夜の中に、モルセーゴは消えて行った。扉が閉まると、部屋の中は沈黙に包まれた。
手に残る温かみを逃さないように重ね、彼女は頬を赤らめながら顔をしかめる。

「あの、キザ野郎…帰ってきたら覚えてろよ

そう呟いたリュゼはしばらくの間、彼が消えた雪の荒ぶ闇を見つめていた。そして肩からズレ落ちた毛布をかけ直し、それに包まると、ゆっくりと寝床に帰っていった。


生き物の燃える臭いは、いつ臭っても慣れないものだ。それが同胞とあればなおのこと。

とある日の記憶を思い出す。
込み上げる憎悪に彼は支配されていた。
傍で体を震わせて怯える女の手を掴み、息を荒げて走り去る。踵を返すと、森に消えた2人などに目もくれず、民衆は火刑に処された者の周りを取り囲み、叫び散らしている様子が見えた。
周りに響き渡る、贄への罵詈雑言は尽きることはなかった。暗い空に舞う赤い灰が空に満ちる。黒い煙は人々の目を曇らせ、それが自らと同じ種であることを認知することはない。彼らにとってそれは、悪であり、憎しみをぶつける対象。人ではないものなのだから。

人は生まれながらに罪人である。そしてこの世では、人は人によって罰を与えられ、人は人によって裁かれる。それがこの世界のことわりだ。

頭の狂った神父が祈りを捧げる。
狂っている。まるで自らが神になったかのように、哀れにも焼き殺された生贄に、自らの罪をなすりつけては殺していく。様々な拷問を受け、死を受け入れた生贄は、生者たちの与える呪いを受けながら、死んでいく。潤うことのない喉の痛みに悶え、肌を焼く熱に叫ぶその姿。そして、それを罵り、蔑み、嘲笑する悪魔ども。その光景は…ああ、まさに地獄だった。

妹がそんな人間達に殺された時も、同じく。
この人間たちにとって、この殺戮行為は娯楽でしかなかった。陰惨とした気分を変えるために行う処刑。反応を楽しみ、彼らはその行為に満足する。奴らは命を燃やし、弱者を殺す時を、楽しんでいる。

未だに、奴らはわかっていないのだ。奴らのなすりつけた罪こそが呪詛。そして我々は、その呪詛を種として芽吹く災厄。祈りは呪いに転じ、我々は魔女属としての意識を手にした。

それが魔女属の始まり。

だからこそ、我々は、人間を殺戮する力を欲する。例えそれが、同属を殺すことで手に入れられる力だとしても。
人こそが呪詛を生み、祈りを呪いに転じさせるのならば、その根本を断絶するほかない。

少しの犠牲で同胞は救われる。彼らは我々になすりつけた罪を、清算するときなのだ。
今こそ、人から受けた呪いを返す時だ。

その為には、力がいる。幸い、力はもう手に入れているが、行使するには時間がかかる。
呪いの結晶である我々の魂を集め、目覚めた神に返す。そうすれば世界はまた、平和で、平等な美しい国に帰り、このような醜い種族も生まれることはない。
我々が受けてきた痛みは全て無に帰り、望んだ世界がやってくるのだ。

蠍の魔女属 グランヴィニアは、その為に魂を集める。人間たちを根本から断絶する為…力の弱い同胞の魂を回収し、蘇った神に返す為に行動する。迫害されてきた…今までの仕打ちを全て人間どもに返すために…

グラスに入った赤い液体を飲む。彼は虚空を睨んだ。掠れた思い出を飲み込む様に、最後の一滴を飲み込む。
腹の奥はまだ、鈍い痛みに襲われていた。これは、ヤツに…あの忌々しいコウモリ野郎につけられた傷だ。
リュゼ・リューグナー、あの女を捕らえようとした時に、負った傷…。モルセーゴに加えられた一撃だ。ああ、思い出しただけでも腹がたつ。だが、それももう少しで忘れ去ることができるだろう。彼は、ニヤリと笑った。

「奴は俺たちの誘いに乗ったようだな?

びくりと肩を震わせる女に、グランは話しかけた。彼女はこくりと頷く。彼の腕に巻かれた包帯を取り替えながら、彼女は口を開いた。

「いまの魔女属だけでは戦力が足りないと判断したのだと思われます。…モルセーゴさんは魔女属の中でもかなりの実力を持っている方ですから…

パキン…と、グラスにヒビが入る。その音に驚き、ミュオはグランを見た。彼は顔に自分の失言に気がついたのか、怯えた様子で申し訳ありません…と呟いた。
彼は眉ひとつ動かさず、一点を見つめている。
いつものように、すぐに彼女への暴力に転じることなく、彼は静かにミュオの言葉の続きを話し始めた。

「俺たちに対抗するために、奴の力を、ノワールは求めるだろう。お荷物化したリュゼを俺から遠ざけるために、モルセーゴはその誘いに乗る。ここまでは計算通りだ。

ヒビの入ったグラスを机の上に置き、彼はもっと深く椅子に腰掛ける。そしてミュオに、包帯の取り替えを急かせるよう、促した。ミュオはすぐに取り掛かる。
包帯を取り終えると、生々しい傷が露わになった。まだ、傷は塞がっていないようだ。ミュオは、鞄の中から薬剤を取り出すと、傷の上に一滴垂らした。傷に染み込み、直ちに回復が始まるが、傷口の周りについた紫色の粘液が邪魔をするのだろうか、やはり傷の治りが遅い。ミュオは、新しい包帯を鞄から取り出し、腕に巻いた。全ての工程が終わった後で、彼女は申し訳なさそうに、口を開く。

「グランさん…終わりました。…モルセーゴ様の力の効果で、やはり治りが遅くなっているようです。光華の蜜液でも、力の侵攻を食い止めることしかできないようで…

「期待はしてない。さっさと下がれ。

その言葉を聞くとすぐに、彼女は行動に移した。彼の表情を見ることなく、ミュオは出していた道具を全て鞄にしまう。そして、彼の飲み終えたグラスを下げようと手を伸ばした、その時だった。
急に、彼は彼女の手を掴み、自分の元に引っ張った。驚くミュオだったが、急な出来事に対応できず、グランの上に倒れこむ。その時に机に足が当たったのか、ひび割れたグラスは床に落ちた。パリン!という音が、無音だった部屋に響いた。
ミュオの顔をグイッと掴み、無理やり唇を奪う。もう片方の腕で彼女の腰を抱き寄せ、逃げ出せないようにする。息苦しさに、吐息を漏らす彼女に、容赦なくグランは攻め続ける。
暫くして、彼が飽きたのか、ミュオはなんとか彼の支配を逃れることに成功した。

「はぁっ…はぁっ…グランさん、グラスが…

「そんなこと気にしてる場合じゃねえだろ、クソナメクジ。さっさと脱げ。

グランの命令に、ミュオは目線を背ける。すると彼は舌打ちをして、彼女の太ももに手を滑らせた。体をぴくっと震わせて、グランの手の侵攻を防ごうとするが、彼はその隙にもう一つの手で、彼女の胸部を露わにした。体を起こし、自分の上に覆いかぶさる女の柔らかい乳を揉み、もう一つの手で、太ももから尻にかけて撫でる。
ミュオは小さく甘い喘ぎ声を漏らす。拒否しようと伸ばした手も、役目を果たすことはなかった。
グランは彼女の胸にかじりつく。柔らかく、甘い匂いに包まれながらも、彼は彼女の柔らかい蕾を舐め、時たまに強く齧った。
痛みと心地よさに脳が支配され、不思議な感覚に襲われる。少し乱暴だが、逃げ出そうとは、思わなかった。

もう一つの手が、自分の中に入ってくる感覚に、驚き、怯えながらも、ミュオはやがてくる感覚に悦んでいた。彼の指が立てる水音はだんだんと激しくなり、彼女はびくびくっと、体を震わせた。グランは、そんな様子を見ると、ずるりと、指を引き抜いて、指についた愛液を舐めとった。

「グラン、さん…

いつもの怯えた表情が、すこしとろりとした表情に変わっている。だが、グランはいつも通り、鋭い瞳で彼女を見て、眉をひそめた。

「イラつかせるな、さっさとしろ。

その言葉に、ミュオは戸惑いながらも頷いた。

グランの上から退くと、彼女は、彼の前に座り、ズボンのチャックに手をかけはじめた。
そして、露出させた彼の肉棒を、優しく口に入れる。ゾクゾクと、快感が彼を襲った。だが、彼はまだ余裕な表情のまま、自分のモノを咥え、舐めている女を見ていた。
もどかしさを感じたのか、彼女の頭を掴み、激しく喉の奥に擦り付ける。なんども入れては抜きを繰り返す。彼女は苦しいのか、目に涙を浮かべて嗚咽を漏らしているが、そんなことを気にしてやるほど、グランは優しい男ではなかった。
暫くして、彼が絶頂を迎え、口の中に白い液体が流れ込んで行く。ねちゃり、と粘つく液体にむせながらも、彼女はそれを飲み、恍惚の表情を浮かべる。

「ケツをこっちに向けろ、ナメクジ。

グランはまだ、足りないようだ。その命令に彼女は拒否もせず、彼の言う通りにする。机に両手をつき、彼にお尻を向ける。彼は、尻肉をぐっと掴み、彼女の腟穴に、自分のモノをゆっくりと挿れた。ぐっ、と彼女は圧迫感を感じ、びくっと震えた。
ゆっくりと抜き差しを繰り返すと、彼女の声はやがて艶を帯びてくる。

「んっ…ふっ…ぃ…っ…い…あっ…

何度も何度も突くたびに、喘ぎ声がどんどん大きくなっていく。やがてグランがフィニッシュを迎えると、ミュオはぐったりと机に伏せって、ビクビクと痙攣した。痛みと、快感が、変に混ざって気持ちがいい。はぁ、はぁ、と息を整える。そんな彼女を見下ろしながら、グランはズボンのファスナーを閉めた。

「おい、さっさと支度を整えて仕事に戻れ。
休んでんじゃねえ。

彼は冷たく言うと、彼女の尻を叩いた。ひゃん!と声を出す。柔らかい桃尻に、赤く、手形が残る。ミュオは荒げていた息を整えると、すぐに脱いだ服を集めて身につけていく。グランはそんな彼女のことなど気に留めず、椅子に深く腰掛けた。
ミュオはすべての衣服を身につけ終わる。だが、何かをまだ探していた。おどおどと、何度も周りを見渡しているが、どうやら見つからないようだ。

「あの、グランさん…わたしの、下着…を知りませんか?

その問いに、グランは冷たい目を返す。だが、すぐに口元を歪め、いつもの調子で彼女に答えを返した。

「はっ、これか?お前には必要ないだろ。履かなくていい。液が垂れそうなら、入り口にテープでも貼ってやろうか?あ?

黒い下着を手に持ち、それを、まるで紙を破るかのようにいとも容易くビリビリに破いていった。彼の笑い声が、部屋にこだまする。

「さっさと部屋を掃除しに行け。なめくじ女。お前はその仕事と、俺の性欲を処理する仕事しかできねぇんだからな。
俺たちは明朝、此処を出る。それまでに拷問部屋を開けとけ。いいな?

彼は、破いた下着を地面にばらまくと、ミュオの横を通り過ぎて行く。彼女は、俯いて彼が通り過ぎるのを待った。

ああ、いえなかった。でも、もういいのだ。彼は、きっと耳を貸さないだろうから…もう何もかもが遅いのだろう。

彼は行ってしまった。次に彼が帰るのは、あの子を…リュゼとモルセーゴを捕獲した時だ。もう、計画は進んでいるのだ。デッドリーウィッカ達は各々、力の弱い同胞を捕獲して拷問し、抽出した魂体を神に返す。そのために、今、彼らは動いている。
この世から居なくなった神が再びこの世に戻った今…彼女の命令に、我々は逆らえない。彼は彼であるが彼ではない。もう、彼ではないのだ。

「私はいつも行動が遅い…私じゃ彼を止められない…なら…誰かに止めてもらうしかない。

ミュオは、彼の居なくなった部屋で割れたグラスを片付け始める。ガラス片に映った彼女の表情は、少しだけ晴れていた。


北風が雪を運ぶ。窓から見る外の景色は相変わらず白ばかりだった。モルセーゴがこの住処を発って2ヶ月が経ったが、彼からはなんの音沙汰もなかった。
この住処に、リュゼと眷属コウモリ達以外の者が訪れたのは、今から3週間前になる。
同盟への協力により、再び同盟保護下に戻ることができた。そして、追加の要望として、リュゼを、同盟から離反したデッドリーウィッカ達から護衛する為、魔女属同盟から派遣されてきたのは、リュゼととても親しい蜂の魔女属のツォリンと、熊の魔女属のハイゼルだった。
ツォリンは、リュゼを見ると泣きながら抱きしめた。彼女と最後に会うのは、モルセーゴと眷属契約を結ぶ前になる。リュゼが生きていたことへの喜びの気持ち、モルセーゴに酷いことをされただろう、という心配の言葉…様々な会話をツォリンと交わした。ハイゼルは、いつも通りのマイペースさを貫いていたが、今回の事件で、魔女属の中でもかなりの事態が起こっているらしく、自分の知っていることを全て教えてくれた。

「一つは、グラン達の同盟からの離反。デッドリーウィッカとしての同盟を築きあげた奴らは、何をトチ狂ったのか、力の弱い魔女属を狙い始めた。最初の犠牲者は、雀の魔女属だ。彼女はもう存在確認も取れない。本当の死を迎えたと考えていいだろう。魔女属の歴史初の、同属の敵が現れたことで、魔女属同盟側も混乱している。

そして二つ目、奴らからの攻撃は力の弱い魔女属が主だが、デッドリーウィッカの中でも好戦的なグラン、ヘルベロト、エスティカ、アンリエッタは、普通の戦力をもつ魔女属にも攻撃を仕掛けている。
ヘルベロトは、アリーシャに因縁があるから、アリーシャしか襲わない。彼の場合はおそらく他を襲うことは無いだろう。問題はその他3人だ。

「この前…ベリータとベルベットが襲われたの。モルセーゴと、鴉の魔女属のクローが後ちょっとのところで間に合って撃退したから一命はとりとめたんだけど…。中級の魔女属でも防ぎきれないほどの力を持っているから、私たちも気が抜けなくて。だから、今同盟の中では2人以上の行動が原則になっているの。

眷属コウモリが、2人の前にお茶を出す。温かい紅茶は湯気を出し、いい香りを運んでいる。
それが気になったのか、ハイゼルは紅茶を口に運んだ。しかし、淹れたての紅茶は熱く、驚いたハイゼルはカップを大きくガチャン!と音を立てて受け皿に叩きつけてしまった。その様子を、ツォリンはムッとした顔で見た。

「ちょっと、ハイゼル。あなたねぇ…!

「ごめんごめん、ごめんって…俺、熱いの苦手なの忘れてたよ、ははは…ごめんなリュゼ。

「別にいいさ。…クエム、布巾をとってくれ。

リュゼはふっと笑って、眷属コウモリに布巾を取ってくるように促した。持ってきてもらった布巾を使って、少し溢れた箇所を拭き取る。

「2人行動が原則…だから、モルセーゴは、クローと行動を一緒にしてるのか?なんだか面白いな。緊急事態だとはいえ、モルが他の誰かと手を組むなんて。昔じゃ考えられない。

「クローは、人に合わせるのはもとから得意なほうなんだよ。モルセーゴに合わせてるからうまくいってる。それに、実力も火力もモルの方が上だし、かなりいい組み合わせだったな。

「リュゼと一緒にいて、何か変わったんじゃ無い?アイツ…昔よりなんか、社交的になった気がするし。丸くなったっていうか…

ツォリンの言葉に、リュゼは少しだけ驚いた顔をした。だが、すぐに、まさかと笑う。紅茶を注ぎ直したカップをハイゼルに差し出す。

「戦いは長引きそう、なんだよな。

その言葉を聞くと2人とも黙り込む。口を最初に開いたのはハイゼルだった。

「ああ。かなり長引くだろう。グラン達の力を侮ってた…というよりは、やはり彼らの後ろ盾の力を侮ってたと、言った方がいいだろうな。
奴らはかなりずる賢い。後ろ盾からの加護をもらっているのか、力も通常より高いことをいいことに、かなりのごり押し戦法で押し切ってくるんだ。
長であるオルヴィエとその眷属の黒騎士は、別の要件で手が離せない。奴らに対応するために、様々な魔女属が動いているが…もしかしたら、俺たちでも対処できないかもしれない。
こればかりは、戦う前にはわからないことだからな。

その言葉にリュゼはそうか、とだけ呟いた。ああ、めまいがする。彼女は魔力が尽きかけていることを悟っていた。少しぼーっとしていると、心配したのかツォリンが椅子から立ち上がり、リュゼに寄る。

「大丈夫?リュゼ…なんだか調子が悪そう…

「平気。少しだけボーっとするだけだ。眷属化すると、主人の魔力を受けないと弱体化するみたいだから…心配しないで。彼が残した血液を摂取して寝たらよくなるから…

ツォリンはそう言われても尚も心配そうな顔で見つめてくる。するとハイゼルが彼女の肩を叩き、目を閉じて首を軽く振った。

彼女たちが帰る途中の姿を見送りながら、リュゼは魔力切れによって起る身体中の痛みに悶え、彼らが見えなくなったところで、床に座り込んだ。動悸が激しくなり、頭の中で鐘を鳴らされているかのような痛みがリュゼを襲う。

眷属コウモリ達はそんな彼女を心配している様だ。リュゼはなんとか立ち上がり、壁に添いながらある場所を目指して歩き始めた。

モルセーゴが残した魔力切れ対策…彼の血液の入った袋は、眷属コウモリが近づいて無闇に摂取しない様に封印が施されている。だから、自分で取りに行くしかない。
一歩一歩階段を降り、物置に到着する。

どこよりも一番ひんやりとしていて、埃っぽいこの物置には、変な瓶がたくさん置いてある。…中身は黒く濁っていて見えない。彼はそれらについて何も教えてはくれなかった。まあ、いつものことだが…。
リュゼは物置に入り教えられた場所にある、何個も積み重なっている袋をみつけた。どうやらこれら全てに、血液が入っているようだ。

袋を開いてみると、中には10個ほど小瓶が入っていた。全て赤黒いドロっとした液体が中に入っている。彼女は朦朧とする頭を振って、震える手を抑えながら小瓶を掴み、血液をグイッと飲みほした。
鉄の匂いが鼻を抜け、一瞬吐き出しそうになるが…彼女は耐え抜いて全て飲み込む。
しばらく、その場で動かずにいると、頭痛が和らぐのを感じた。体の震えも収まったようだ。
しかし、胃の中だけは気持ち悪く、すぐさまその場にうずくまる。
これを飲み続けるのは難しい、だが、粘膜に体液が付かなければ魔力を吸収することはできない。モルセーゴがしたように、膣のなかに直接体液を流し込めれば…

ああ、そうか。と、彼女は思いついた。すこし憚られるような案だが…背に腹はかえられない。小瓶をもう一つ取り、中身を手の上に取り出す。どろりとした冷たい液が、ひんやりと手のひらに広がることを感じると、彼女は指ごとそれを自らの秘部に滑り込ませた。
冷たく、ヌルリという感触とともに、恥ずかしさで頬が照った。でも、ゆっくりと、奥に進ませる。
塗り込むだけだ。そう彼女は思いながら最奥地まで彼の血液を塗り込んでいく。ふと、親指が一番敏感なところに触れると、体が無意識にはね飛んだ。ゾクゾクと沸き立つ快感が彼女を襲う。しかし、快感は頂点には至らずにまたゆっくりと沈んでいく。
ふと、彼が自分に施したあの時のことを思い出す。リュゼは沈んだ快楽をもう一度呼び覚ますように、彼が施した通り、ゆっくりと敏感な部分を撫でた。ニュルリという感覚を感じながら、何度もその部分を擦っていく。すると、目の前がパチパチとはじけるような感覚に襲われ、膣が痙攣し始めるのを感じた。
そして、吐息を荒げながら、彼女はやがてびくりと大きく痙攣し、やがて快楽の果てに達した。

本来なら、ここから彼のものがなかに侵入してくるのだが…と、リュゼは心の中ですこしだけ物足りなさを感じたが、すぐに思いをかき消す。もちろん、当の本人は認めたくないと思っているが、やはりどこかでそれを認めていた。

荒げた息を落ち着かせ、手についた体液を近くにあった布で拭き取る。魔力供給がうまくいったのか、彼女はすこしふらつきながらだが、寝室に向かう。やがて冷たいシーツに身を沈めると、彼女は一枚のマントを手に抱きしめ、顔を埋めて落ちるように眠りについた。


深い森のなか、男は追手から逃げていた。右手に深い傷を負っているが、気にもとめずに地を走り続ける。しかしやがて大きな苔むした岩に邪魔され、彼は傷口を抑えながら森の奥をにらんだ。シンと張り詰めたように静かな音を貫き、数秒も立たぬうちに、それは彼の前にやってきた。頬をかすめ、なんとか避けると、槍はふわふわと浮いて主人の元に帰っていった。

「絶体絶命ってやつ?ウケる。

ゆっくりと歩き、男の数メートル先で止まる。彼女はニヤニヤと笑いながら槍の先端についた血をなめとった。

「アンタの羽も、腕も、もう使えないしー。大人しく魂体をくれれば拷問しなくても済むんだけど〜?どう?クロー。

クローとよばれたじわじわと滲み出る血液を止めるため、グッと抑えている手に力を込める。

「悪いけど、俺は死ぬわけにはいかないんでね!

彼は強気の口調でそう返すと、ボロボロになった翼を広げて飛び立った。しかし、追っ手の女はそれを許さない。

「あっそう!じゃあ死んで!

彼女は彼の逃走にいちはやく反応し、逃さまいと槍をふり投げた。
彼の翼の中腹に、槍は投げられた。しかし、槍はあたる直前に逸れてしまった。黒い物体に邪魔をされ、弾かれたのだ。地面に突き刺さった槍を抜いて、女は暗闇に溶けたクローを睨む。

「ちくしょ〜逃した!!くそコウモリめ!

静かな森に彼女の声が響き渡る。そのままのしのしと歩きその場から去る。クローはその様子を見て安堵の声を漏らした。

「ふう…助かったよ、君がきてくれなきゃ本当に俺死んでたなぁ、いてて…

傷が深い右手に消毒液を掛け、モルセーゴは慣れた手つきで彼に包帯を巻いていく。

「グラン派の連中の攻撃が増してきている。
アリーシャがなんとか食い止めているが…、ヘルベロトの猛攻で手一杯だ。

包帯を巻き終わったモルセーゴは、クローに小瓶を手渡す。礼を言うと、クローは一気にそれを飲み干した。苦味が広がるが、体の苦痛が取れていく。

「何から何まですまないね、モルセーゴ。ふう、元気でた。なるほど、アリーシャが手一杯だとすると…上位クラスであと頼れるのはラグナとお前だけってことになるな…。奴らの中で一番厄介なのはやっぱりグランか?

モルセーゴは少し考えて、それから頭を縦にふった。クローはやっぱりそうか…と考え込む。

「奴らに上下関係はない。だが、奴は行動が早く、頭もいい。グランヴィニアの居場所は分かっている。さっさと殺したほうがいい。あいつが他の魂を集める前にだ。

グッと、拳に力を込める。クローはひゅう、と口笛を鳴らした。彼は、モルセーゴの恐れている事態のことを理解していたので、ニヤニヤと笑って彼を見ていた。

「なんだ。その目障りな、にやけ顔を潰してもいいんだぞ。

「はぁ、ひどい。俺そんなニヤニヤしてた?ごめんねモルセーゴ、君はもっともっと冷たいやつだと思ってたよ。誰が死んでも気にしない、鉄の心を持つ男だと思ってた…リュゼが変えてくれたのかな?彼女とあってから君かなり変わ…

最後まで言い終える前。ひどい衝撃音がして、クローの右斜めにあった岩が砕け散った。ゴトゴトと破片が地面に砕け落ちる。
モルセーゴはそれ以上いったら殺すといった表情でクローを睨んだあと、彼をおいて木の上に飛び乗った。だがクローは怯むことなく、それでもニヤニヤしながらモルセーゴの後についていった。

しばらく森を進み、モルセーゴが立ち止まる。その原因を、クローも嗅ぎ取っていた。二人は急いで木の下に飛び降る。
茂みの奥で、なにかがガサガサと音を立てた。警戒の体制を整えるクローであったが、モルセーゴは茂みに近づくと、それをかき分ける。
すると、そこには雪の上に伏せった血に塗れた女がいた。二人にも見覚えのある女だった。

「ツォリン!

クローが慌てて駆け寄る。彼女は痛みに喘ぎながら薄眼で彼らを見ると、首を振った。どうやら喉を掻き切られているようだ。

「大丈夫じゃなさそうだ、はやく運ばないと。
モルセーゴ、クスリを…

「翅をもがれたか。ハイゼルはどうした、ツォリン。お前らはペアだろう。

彼女は仰向けに体制を変えると、指で茂みの奥を指差す。声が出ない口からは息だけが漏れ、咳とともに血を吐いた。
指差した方向を見ると、四肢を刺され木に張り付けられている大男がいた。腕に食い込んだ槍を抜こうともがいているようだ。

「ハイゼル!大丈夫か!

モルセーゴは、クローに薬を手渡すと、ツォリンの喉元に薬を塗った後、ハイゼルの元に向かった。

「ゔゔ……ッくそっ…くそっ!

「大人しくしろハイゼル。傷口が広がると治りが遅くなる。

その声を聴き驚くハイゼル。彼はすぐに大人しくなり、モルセーゴの指示に従った。
一つ一つ、彼に刺さっている槍を抜いていく。

「この槍はエスティカの槍だろう。なにがあった?

槍が引き抜かれ、痛みに悶える。ハイゼルは、はぁ、と深くため息をつくと今の状況に至った経緯を話し始めた。

「リュゼの様子を見に行った後、森を歩いていたら突然攻撃されたんだ。ツォリンがまずやられて…気を取られていたら、俺もやられた。目が覚めたら手足を刺されて固定されてた。やった本人が誰なのかは、俺もわからない。
でもこれは…エスティカがやったんじゃない、あいつなら多分、俺たちをちゃんと殺す。生かさない。だから、別の誰かだ。

「見せしめにしたのか…?それとも俺たちを誘い込むためか?なあ、モルセーゴ…

クローはちらりとモルセーゴを見る。しかし彼は首を振った。

「いや、ハイゼルもツォリンも、出血量が多い場所を攻撃されている。おそらくは血を採取したんだろう。

「血を?なんで?

クローの問いに答えず、モルセーゴはハイゼルに薬瓶を手渡す。ハイゼルはそれを受け取ると、一気に飲み干した。

「クロー、お前はオルヴィエの元に二人を連れて行ってくれ。ここからは単独で行く。

「おいおいまってくれよ、モルセーゴ。そりゃないぜ。俺はオルヴィエからアンタに付くように命令されてるんだ。俺たちはペアだが、俺はお前が無茶しないように制止する監視役でもあるんだぜ?それに、俺だって羽がボロボロだし、運べるのはツォリンだけだ。
焦っているのはわかるが、ちゃんと事情を説明して、話し合って決めよう。な?

必死の説得だった。クローにとっては。しかし、モルセーゴは耳を貸そうとはしなかった。
彼は説得しようとするクローに一瞥をくれると、彼の言葉を最後まで聞くことなく飛び去った。

「おい!モルセーゴまて!こら!おい!

「俺が数日も戻らなくても、探さなくていい。それだけ伝えておけ。あと、ほかの裏切り者を討伐していけ、とだけ伝えてくれ。

そう言い残すと、モルセーゴは影に溶けて消えた。クローは嘘だろ!?とだけ呟き、しんと静まり返った森を見た。今はまだ、モンスターの気配も近くにはないが、ツォリンとハイゼルが見つかるのは時間の問題だろう。
チッと舌打ちすると、クローは方向を変え、満身創痍の彼らのもとに向かった。


モルセーゴが裏切った同胞を討伐しに出かけてから、2ヶ月と半分が過ぎた。もう少しで3ヶ月がやってくる。
彼からは相変わらずなんの連絡も音沙汰もない。…つい先週まで顔を見にきてくれていたハイゼルとツォリンも、今週は一度も来ていない。
何かあったのだろうか?リュゼはふとそう考えたが…自分はこの家から出られないことを思い出した。

彼がもし、死んだのならば。きっと自分も死ぬはずだ。だから、モルセーゴはまだ生きているのだろう。ツォリンとハイゼルも、もしかしたら戦いに巻き込まれてしまったのかもしれない。
そう考えながら、家の中を移動する。リビングの机はほぼ埃まみれになっていた。
窓ガラスもしばらく拭かれた形跡もない。先々月まであったにぎわいも、今は見る影もなかった。それもそうだ。眷属コウモリ達は魔力消費を落とすために全て眠ってしまったのだから。

リュゼは静かな家で一人、天井を見つめ、椅子にもたれながら温めたお湯を飲んでいた。彼らが限界まで溜め込んでくれた食料もある。そして、モルセーゴの血液もまだまだある。
だから、この静けさ以外はなんの不満もなかった。
ふと、お湯に映った自分の顔を見つめる。えらく変わったものだと、そう思い、笑う。
魔女属として生きていた頃は、ただ欲のままに戦って殺していたのに。今はもうその片鱗すらなくなってしまった。能力を失ったと知った時は深くモルセーゴを恨んだが…今はそれでよかったと思えるようになってしまった。
懐柔されすぎだと、自分でもそう思う。過去の私なら絶対に許さないだろう。
でも、眷属コウモリ達や…モルセーゴに教えてもらった知識は、私の過去がなんだったのかと思うほど衝撃的だった。だが、感謝なんて絶対したくない。するなら心の中でだけ…。

彼女は机に突っ伏してため息をついた。

「早く帰ってこい…ばかモルセーゴ…寂しいだろ…

彼女は小さく呟く。その声は静かな部屋に吸い込まれてしまった。だがその時だった。
ガタン!と、彼女は立ち上がった。ガラガラと椅子が倒れる音が部屋に響く。彼女は瞳孔を開いたまま、窓の外を見た。ふわりと、懐かしい匂いが漂ってくる。

「この匂いは…

よく嗅いだ匂いだった。リュゼは衝動のままに走り出す。リビングから寝室の前を通って玄関へ飛び出すと、草原の中をよたよたと歩いている人影が目に入った。
それは何歩か歩くと立ち止まり、気を失ったのか倒れこむ。リュゼはすぐにそれに駆け寄ろうと玄関を飛び出した。

だが、彼女はその瞬間に理解してしまった。

あれは本当に、彼なのか?

寒気が全身を駆け巡った。

ああ、だめだ。これは罠だ!

走り出した足を止めて振り返り、家に戻ろうとした時…それはもう彼女の後ろに立っていた。
強烈な痛みが腹部に走り、目の前が真っ暗になる。
薄らいでいく視界には顔を歪めて笑っているグランの姿が映っていた。

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